初めまして、『私』と申します。SSは初投稿となります。
こちらは『きんいろモザイク』忍×アリスのSSになります。
忍とアリスが紆余曲折を経て想いを伝え合う作品になります。
【注意事項】
・全体の九割が暗めですがハッピーエンドです
・陽子と綾は既に恋人関係です
・ほのカレは無いですが、穂乃花→カレンはあります。
・久世カレは無いですが、久世橋→カレンはあります。
・原作とのキャラクターイメージの乖離(特に忍)があると思われます。
・一部に原作描写に対する独自解釈が含まれます。
初投稿の初心者なので色々とお見苦しい点などあるかと思いますが、よろしければお楽しみ下さいませ。
―――――走る。
―――――走る。
―――――ただ、走る。
―――――誰かにぶつかりながら、息が切れて、心臓は忙しなくて、涙は止まらなくて。どこまでも行ってしまいたい私の意思とは裏腹に、私の身体は限界を訴えて自然と歩幅を緩め、そして、気が付いたら私は、誰もいない空き教室に、いた。
―――――荒く息を吐きながら、心臓が落ち着くのを待ちながら、どうやっても止まってくれない涙が地面を濡らすのを、ただ見ているだけ。身体も、心臓も、心も、もう全部私のものではなくなってしまったような感覚。
―――――ふと、私の耳に、私を呼ぶ声がした。私の身体が振り返る。
―――――アヤと、カレンだ。こちらへ向かって走ってくる。
―――――シノは、いない。
―――――当然だろう。一瞬でも甘い考えをした自分に嫌気が差す。
―――――シノは来ない。来るはずが無い。
―――――だって
―――――私は、シノに自分の想いを伝えて
―――――拒絶されたんだから。
それは、各々の進路が決まって間もない頃。イギリス旅行から帰ってきて、後は卒業式を待つばかりとなったある日のことだった。
「ねぇシノ、今からちょっとだけ良い?」
半日だけの授業が終わり、帰り支度をしていた忍の元にアリスが寄ってきた。
「アリス……?」
アリスのただならぬ雰囲気を感じ取り、忍は知らず身を固くした。普段の柔らかな表情はなりを潜め、緊張した面持ちで忍を見つめる。
「……分かりました。それじゃあ、場所を変えましょうか」
忍は努めて明るく振る舞った。忍の言葉を受けて歩き出したアリスの後に続く。
訪れた場所は中庭だった。かつて、忍が自分の目指す進路をアリスに伝えた場所でもある。
「ゴメンねシノ、こんな所まで連れてきちゃって……」
「……いいえ、大丈夫ですよ」
緊張した面持ちのアリスに対し、努めて明るく振る舞う忍だが、その表情は固い。
「……」
「……」
二人の間を沈黙が支配する。うっすら頬を赤らめ何かを言いよどむように忍を上目遣いに見つめるアリスと、そんなアリスを固唾を呑んで見守る忍。
そして、そんな二人を物陰から固唾を呑んで見守る人影。
「ほ、本当にやるんだな、アリス……」
「なんだか、こっちまで緊張してきちゃうよ……」
「ホノカもヨーコも心配しすぎデス。あの二人なら何も問題ないデス!」
「そ、そうは言うけど……心配なんだもの……」
「……というか、人の告白を覗くのは良くないんじゃ……」
陽子、穂乃花、カレン、綾、香奈である。
「まぁまぁ香奈、アリスの相談に乗ってきた身としちゃ、やっぱり気になるからさ」
「まぁ、それはそうだけど……」
「それに、私と綾はあの二人にずいぶん世話になったしさ……」
そう呟いて、陽子は綾を見た。同じ事を考えていたのだろう、綾も陽子に視線を向け、少し照れくさそうに笑みを浮かべる。
陽子と綾は恋仲だ。少し前に、忍やアリス達の手助けによって、二人は想いを通じ合うことが出来、晴れて恋人同士の関係となった。
だからこそ、陽子と綾は忍とアリスの関係について、この中の誰よりも気にかけていた。
「……私、ここでシノの進路を教えて貰ったんだよね」
「そうでしたね……」
「……あのね、シノ」
「……はい」
アリスは目を閉じて深く息を吸い込んだ。気持ちを落ち着けるように深呼吸を三回。そうして、忍をじっと見つめる。
「……聞いて欲しいことがあるの」
「……なん、でしょうか……?」
「……私、シノが好き」
「……!」
「好きなの。愛してるの。シノのことを、一人の女性として愛してるの」
「アリス……」
「シノ……」
二人の視線が絡み合う。しばしの沈黙。しかし二人にとっては永遠とすら言えるような沈黙の後、忍はゆっくりと口を開いた。
―――――心臓が、跳ねる音が聞こえました。
―――――もしかしたらと、思わなかったわけではありません。
―――――むしろ、本当の私は、それを願わなかった日は無いでしょう。
―――――アリスに呼び出された時から、もしもそうだったら、どうしようと、ずっと、ずっと、考えていました。
―――――嬉しいです。嬉しくないわけが無いじゃないですか。
―――――好きです。アリス。好きなんです。あなたが、どうしようもなく。
―――――あなたを、愛しているんです。
―――――だから、私の答えは決まっているんです。
―――――いつか、こんな時が来たら、言おうと、心に決めていたんです。
―――――私の、答えは、勿論。
「……お断りですね」
「……え?」
アリスの呟くような声が小さくこぼれ落ちる。陰で見守っていた陽子達も予想外の事態に言葉が出ない。
「私とアリスが?悪い冗談ですね」
そんなアリス達を余所に、忍は淡々と言葉を紡ぐ。その表情は冷たく、普段の笑顔はなりを潜めている。そこには侮蔑の笑みすら無い。ただひたすらに冷徹な、凍り付いた瞳だけ。
「し、シノ……」
「私にはそういうつもりはありません。もしもそういう目で私を見ていたのなら……やめてもらえませんか?不快です」
「あ、ぅあ……」
普段の彼女からは想像も付かない冷たい態度に、アリスの瞳に涙が溢れ出す。
「……なんですか?まだ何かありますか?」
「―――――っ!」
その、射貫くような目線に耐えられず、アリスは忍に背を向けて、走り出した。校舎内に消えていくアリスを見届けると、忍は小さく息を吐いた。
と、
「しの!」
「っ!」
その声に振り向いた次の瞬間、忍は胸倉を掴まれていた。
「綾、ちゃん……?みんな……?」
「なんで……何であんな事言ったのよ!?なんでアリスにあんな酷いこと……っ!」
そう激高する綾の瞳からは大粒の涙が溢れている。
「なんで……どうしてなのよ……っ!」
「……っ」
綾の言葉に、忍は一瞬、ほんの一瞬だけ唇を噛み締めると、
「……これは私とアリスの問題です。みんなには関係ありません」
(……!)
「何でそんなこと言うのよ!みんな、しのとアリスのことが……!」
「綾、ストップ」
そんな綾を制したのは陽子だった。綾は忍から手を離し、陽子に向き直る。
「陽子!?なんで……」
「しのとは私が話すから。悪いけど綾はアリスを頼む」
「陽子……でも……」
「いいから。しのは私が引き受けるから」
そう言うと、陽子はおもむろに綾を抱き寄せた。
「なっ、何を……!?」
「―――――」
突然のことに動揺する綾の耳元で、陽子が何かを囁く。
「えっ、それって……」
「綾、頼める?」
「……うん、分かった。陽子、しののこと、お願いね?」
「うん!」
「しの……」
最後に忍を一瞥すると、綾は携帯を取り出しながらアリスを追って校舎へと走って行った。
「あ、アヤヤ!私も行くデス!」
忍の事を何度も見ながら、カレンも綾の後を追って校舎へ入っていく。
「……穂乃花、カレンちゃんはアリスちゃんの方へ行ったよ?」
「うん。……でも、今は忍ちゃんを放っておけないの」
「そっか。……うん、私も同じだよ」
そう言って、穂乃花と香奈が忍を見る。忍は三人から背を向け、その表情は窺い知れない。
「忍ちゃん……」
「忍ちゃん……」
「しの……」
陽子、穂乃花、香奈。
三人は、忍に向かい合う。
「卒業式が近くなってきましたね……」
職員室へ向かう道すがら、烏丸先生がふと零した言葉。
「本当ですね。いつもこの時期は複雑でしたが、今年は担当クラスが三年生ですから……やっぱりいつもより思う部分はあると思います」
そう返した久世橋先生の表情は、少しだけ陰りが見えている。
「……久世橋先生?」
「あ、はい。なんでしょうか?」
「もしも……もしもですよ?何か心残りがあるのでしたら、卒業式までに解決しておいた方が良いと思いますよ」
「え……か、烏丸先生……?」
「あくまで『もしも』の話です。でも久世橋先生、何か悩んでいる様子でしたから……」
烏丸先生の優しい表情に心の中まで見透かされているようで、久世橋先生は赤面した。そして、
「……烏丸先生、少しだけ、相談があるのですが……」
「相談……どうかしましたか?」
「その……実は私……きゃっ!?」
何かを言いかけた久世橋先生の言葉はしかし、背後からの衝撃に掻き消された。
「久世橋先生!?大丈夫ですか!?」
「は、はい。一体何が……えっ?」
そう言って振り向いた久世橋先生の瞳に映ったのは、
「ぁ……」
「え、カータレット……さん……?」
「……っ!」
「あっ、アリスさん!?」
目に涙を貯めたアリスは、二人が呼び止めるのも聞かずに走り去ってしまった。
「アリスさん、一体どうしたんでしょうか……?」
「何か、只ならぬ雰囲気でしたが……」
不安そうにアリスの背中を見送る久世橋先生。と、その時だった。
「あっ、烏丸先生!久世橋先生!」
背後から呼ぶ声に、二人が振り返る。
「小路さんに……九条さん?」
「先生!こっちにアリスが来ませんでしたか!?」
「アリスさんですか?確かにこっちへ来て……向こうに走っていきましたけど……」
「カータレットさんに何かあったんですか?」
「実は……」
「アリスさんが大宮さんに告白して……」
「大宮さんがカータレットさんを拒絶した……!?」
綾から伝えられた言葉に、烏丸先生も久世橋先生も自分の耳を疑った。アリスが忍に告白したという事実にも驚かされたが、それ以上の衝撃でそんなことはどうでも良くなっていた。
彼女達の知る『大宮忍』という人物は、外国を愛し、金髪を愛し、そして何よりアリスを愛していたはずだ。だが、それほどの理由であれば先程のアリスの様子にも納得がいく。
「それにしても、大宮さんは何故……」
「私達にも分からなくて……でも、陽子がなんとかするって言うから、私とカレンでアリスを追いかけてきたんです」
自分も泣きそうな顔になりながら、事の次第を説明する綾。それを聞きながら、烏丸先生は何やら考え込む様子を見せていたが、
「つまり、今大宮さんは、猪熊さんと日暮さんと……松原さんと一緒にいるんですね?」
「え?そ、そうですけど……」
それを聞くと、烏丸先生はおもむろに久世橋先生に向き直った。
「久世橋先生。大宮さんのところに行ってあげてもらえますか?私はアリスさんの所へ行きます」
「え、あ……はい!」
「大宮さんの真意がどこにあるかは分かりませんが、二人をこのままにしてはいけない。それだけは間違いないと思います」
「そうですね、私もそう思います」
「……大宮さんの真意が何であれ、彼女は意志の強い人です。大宮さんの真意を引き出すことが出来るとしたら、それは大宮さんとずっと一緒にいた猪熊さん達だけだと思います」
「……はい」
「それでも、私達に出来ることがあるなら全力を尽くしましょう。大宮さんの為に、アリスさんの為に、猪熊さん達の為に」
「……はい!」
烏丸先生の言葉に力強く頷く久世橋先生。それを見届けると、
「小路さん、九条さん、行きましょう。アリスさんはあっちへ走っていきました」
「は、はい!」
「急ぐデス!」
烏丸先生、綾、カレンがアリスの後を追って駆け出した。それを見届け、久世橋先生も中庭へと向かって走り出す。
「中庭はすぐそこ。急がないと……」
中庭へ向かう為玄関へとやってくる。と、
「あの、すいません……」
「あ、はい……どうかしましたか?」
玄関先には私服で立つ女性の姿。見たところ学校の生徒では無いようだ。
「実は、知り合いの子に呼ばれちゃって……小路綾って子なんですけど。どこにいるか分かります?」
「……え?」
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
混乱しきった頭で無我夢中で走り続けたアリスが辿り着いたのは、誰もいない空き教室だった。遠くで人の話す声が聞こえる他には、荒い自分の息遣いだけがやけに耳に障る。
一人になって、立ち止まって、そうすれば、突きつけられた事実が心を支配する。
目を閉じれば忍の顔が脳裏に過ぎる。耳を塞いでも、忍の冷たい言葉が鳴り響く。
「やめて……」
―――――やめてもらえませんか?不快です。
「イヤ……」
―――――私とアリスが?悪い冗談ですね。
「シノ……シノぉ……!」
―――――お断りですね。
「嫌ぁ……っ!」
脳裏にこびりついた幻覚を振り払う。だが、どれだけ頭を振っても、どれだけ声を上げても、悪夢は消えてくれない。
「シノ……シノ……シノ……!」
ついにアリスはその場に座り込んでしまった。立ち上がる力も無く、ただただ涙を流し続ける。
―――――本当のことを言うと、大宮さんの真意について心当たりが全くいないわけじゃなかった。
―――――大宮さんは聡い人だから、私や、アリスさん達が思っている以上に、いろんな物事を見ている。
―――――そんな大宮さんに、こんなにも残酷な選択をさせる元凶があるとするなら。
―――――それはきっと、正しい解答の存在しない、残酷な、世界からの、問い。
―――――大宮さんだって、久世橋先生だって。きっと答えの出せない、問い。
―――――きっと大宮さんは、気付いてしまったんだ。
―――――そして、出した答えが、これだったのだろう。
―――――自分自身を傷付けて、
―――――アリスさんを傷付けて、
―――――そうやって、アリスさんを守る。
―――――自分の心を殺してでも、アリスさんの為に在ろうとした。
―――――大宮さんの、悲痛な、優しさ。
―――――その判断が世界にとって正しくても、アリスさんにとって正しい選択になるとしても。
―――――私は、
―――――烏丸さくらは、
―――――その選択を、大宮さんにして欲しくない。
―――――だから、私の取るべき行動は決まっている。
どれだけ泣いただろうか、ふと、気付いた。
「アリス!アリス!どこ!?」
「アリース!返事するデース!」
綾とカレンの声だった。アリスを探していたのだろう。声は少しづつ近付いてくる。だが、泣いて泣いて泣き疲れ果てたアリスは、その声に応える余裕など無かった。そして、
「いた!アリス!」
「アリス!大丈夫デスか!?」
「アリスさん……!」
綾とカレン、そして烏丸先生がアリスに歩み寄る。
「アヤ……カレン……カラスマ先生……?」
アリスが三人を見上げる。その表情は憔悴しきっている。
「……シノ、私の事なんて好きじゃ無かったんだ。本当はずっと嫌で、でも私は気付かなくてずっと勘違いしてて……」
「……違うわ!」
アリスの言葉を綾が遮った。アリスが呆然と綾を見る。
「……正直、私もしのの真意は分からないわ。でも……これだけは断言できる」
そう言うと綾は、自身の目尻に溜まった涙を拭い、真っ直ぐにアリスを見据えた。
「しのは嘘をついている……それだけは間違いない」
「アヤ……」
「だから、立ち上がるの。アリス、もう一度立ち上がって、しのの本音を引きずり出してやるのよ」
綾がアリスの手を握り、立ち上がらせる。未だ足に力の入らないアリスの肩をカレンが支えた。
「アリス……私だって、大好きなシノが本気であんな事言ったなんて思ってないし、思いたくないデス。だから、このままになんかしないでもう一度シノにぶつかりましょう」
「カレン……」
烏丸先生がアリスの正面に立ち、アリスの涙を拭った。
「アリスさん。私は皆さんほど大宮さんとの付き合いが深いわけではありません。それでも、大宮さんの優しさは知っているつもりです。大宮さんがアリスさんをどれだけ想っているかだって、多少なり分かっているつもりです」
「カラスマ先生……」
「……アリスさん。アリスさんの知っている大宮さんは、アリスさんに対してそんな風に残酷な事を平気で言ってしまえる人ですか?」
烏丸先生の問いかけに、アリスは首を大きく横に振った。
「そうよ。……やっぱりあの時のしのは何かおかしかったわ」
「私もそう思うデス。シノは無自覚に毒を吐くことはあっても、あんな風に酷いことを言うような人じゃなかったデス!」
「でも……それじゃあ、どうしてシノはあんな事を……」
「それは……きっと……」
アリスの疑問に対して烏丸先生が口を開きかけた時だった。
「忍の事だもの、行動原理なんて大体一つだけだと思うわよ」
「えっ……?」
背後からの声に一同が振り向く。
「綾ちゃんごめんね。遅くなっちゃって」
「勇さん!」
「イサミ!?」
本来ならいるはずのない人物、大宮勇がそこにいた。突然の事態に綾を除くその場の全員が唖然とする。
「どうしてイサミがここに……?」
「綾ちゃんに連絡貰ってすっ飛んで来たのよ。アリスと忍が一大事だってね。……烏丸先生でしたよね。お邪魔してます」
「……いえ、助かりました」
最初こそ驚きを隠せなかった烏丸先生だが、事情を理解し安堵の表情を見せた。
「イサミ……」
「ボロボロね……まぁ、綾ちゃんから聞いた話だけでもかなりキツいこと言われてたみたいだし、仕方ないかしら」
勇の言葉にアリスが俯いた。そんな彼女に歩み寄り、
「アリス……忍の事、嫌いになった?」
「……!」
勇の言葉に、アリスがはっと顔を上げた。その表情には動揺の色が滲んでいる。
「本当のことを言ってくれて良いわよ。忍は嫌われたって仕方のないことをしたんだもの。それでアリスの心が忍から離れたとしても仕方ない……アリスに否は無いわ」
勇の口から放たれた言葉。その意味を頭が理解するよりも先に、アリスは叫んでいた。
「嫌いじゃない!」
「アリス……!」
「アリスさん……」
「そうデス、それでこそ……アリスデス!」
「……ふふっ」
その力強い言葉に、その場にいた全員が笑みを浮かべる。
「シノのこと、これだけのことで嫌いになんかなれない!私、シノの事が大好きだもの!」
目に涙を貯めながら、それでも絶望に染まることもなく、アリスは叫ぶように訴える。その姿を見て、勇は嬉しさと安堵の入り交じった笑みを浮かべるのだった。
―――――あぁ、よかった。まだ、間に合うのね。
―――――綾ちゃんから二人のことを聞かされた時は正直もうダメかと思ったけれど、
―――――大丈夫。忍とアリスなら大丈夫。
―――――だってそうでしょう?
―――――ずっと二人を見てきたんだもの。
―――――忍の姉として、アリスの姉として。
―――――二人の絆をずっと見守ってきたんだもの。自信を持って言えるわ。
―――――だから、立って、アリス。
―――――その好きの気持ちを携えて、
―――――今度こそ、あの子に向き合いましょう。
「……そう。それでいいのよアリス。だって、忍だって同じ気持ちなんだから」
勇の言葉に、アリスの目が見開かれた。
「ほ、本当……!?」
「大丈夫、本当よ」
そう言うと、勇は再びアリスを見た。
「アリスは……日本に来て最初のクリスマスの時に忍から貰ったプレゼント、覚えてる?」
「え?う、うん……シノが、イギリスで拾った石……だよね?」
「そう。全く……あの子も贈り物のセンスはさっぱりよね」
当時を思い出すかのように勇が笑みを浮かべる。
「でも、それがどうしたの……?」
「そうね……アリスにとってあの石は、生まれ故郷のものではあるけど、ただの石よね?」
「う、うん……」
「じゃあ、忍にとってはどうかしら?」
「しのにとって……」
「……正直ね、忍がアリスにあの石をプレゼントしたって聞いた時、ちょっと驚いたのよ」
そう言うと、勇は教室の窓から外に視線を向けた。
「忍以外には何の変哲もない石だけど……あれは忍のイギリスでの思い出なのよ。だから、それをアリスに渡したことは簡単なことじゃなかったのよ。忍にとってイギリスは決して近い場所じゃないのだから」
「それは確かに……簡単に行ける場所じゃないけど……」
「でしょう?」
そう言うと勇は振り返った。
「どんな些末なものであっても、そこに籠もっている思い入れが本物なら、そう簡単には手放せないものよ。でしょう?」
「じ、じゃあシノは……」
「それだけアリスが好きで、大切だって事よ。自分にとっての宝物を、なんの躊躇いもなく差し出せるくらい。あの頃から今まで……ずっとね」
「シノ、そんな風に想って……」
アリスが苦しそうに呟く。
「じ、じゃあ勇さん!しのはなんであんなことを……」
困った様子で綾が尋ねる。
「まぁ、確かにね。普通に考えれば好きな相手に酷いことを言う理由なんてないでしょうね。普通に考えれば、ね……」
含みを持たせた勇の言葉に、綾とアリス、カレンは首を傾げるばかりだった。だが唯一、
「……わざと酷いことを言って、アリスさんを遠ざけるのが、大宮さんの目的……ですか?」
「やっぱり、烏丸先生は察してたんですね」
「あくまで推測の域は出ません。正直、もしかしたらという程度のものでしたが……」
勇の言葉に烏丸先生が頷く。その表情は優れない。
「分からないデス……シノにそんなことをする理由なんてないはずデス!」
「そうよね……そうなのよ。でも、忍だけはそうじゃなかった。アリスを遠ざける理由を『想像してしまった』のよ」
「想像した……?」
勇と烏丸先生の思うところが分からず困惑しきりの三人。そんな彼女達に勇は静かに尋ねた。
「……ねぇ、アリス。忍にとって最も恐ろしい事って、なんだと思う?」
―――――言いたいことは、山ほどあった。決まってるだろ?
―――――アリスを泣かせて、綾も泣かせて。カレンだって泣かせて。
―――――だから、最初は説教の一つでもしてやろうと思ってた。
―――――でも、見えたんだ。一瞬だったけど、確かに。
―――――しのの、苦しそうな顔が。
―――――もしかしたら、穂乃花と香奈も見えてたのかもしれないけど。
―――――あの顔を見たら、気が変わったんだ。
―――――しのを、放っておけないって。
―――――そうだろ?綾、カレン、アリス。
―――――そうだろ?穂乃花、香奈。
―――――そうだろ?しの…
時間は、少しだけ遡る。
綾とカレンがアリスを追って校舎内に入った後、残された陽子、穂乃花、香奈は忍と対峙していた。忍は三人に背を向け、その表情は窺い知れない。
「……しの」
陽子が声を掛けるが、忍から返事はない。
「……こっち向けよ、しの」
答えはない。だが、何かを言いよどむようなか細い吐息が陽子の耳には確かに聞こえていた。
「……なんでアリスにあんな事言ったんだ?あんな、思ってもいないようなことを……」
「……何でも何もありません。あれが私の本心です」
そう答える忍の声音は、先程と変わらない冷たさを纏っていた。だが、
「……何が本心だよ。それがしのの本心だって言うんなら……」
もう陽子に迷いは無かった。つかつかと忍に歩み寄ると、その肩を掴んで引き寄せる。
「あ……っ」
不意打ち同然の行為に、忍は為す術もなく振り向かされる。そして、
「……なんで、なんでそんな辛そうなんだよ」
両目に涙を溜めた忍の表情を見て、陽子もまた辛そうに声を絞り出した。
「……」
忍は何も言わず、ただ悲しげに顔を伏せるだけだった。その表情は、忍のこれまでの行動が本心からの行動ではないと判断するには十分すぎた。
「……なぁ、教えてくれよ。なんでアリスを泣かせるような事をしたんだよ」
「そうだよ忍ちゃん!忍ちゃんにはそんなことをする理由がないはずだよ!」
陽子と穂乃花が口々に尋ねる。だが忍は口を開かない。
「しの……」
陽子が唇を噛み締める。
「いつだってそうだ……しのは私達の悩みとかにはすぐ気が付くのに、私達はいつだって、しのが何かに悩んでても気付いてもやれない……」
「陽子ちゃん……」
「あの時だってそうだ……しのが私と綾を結びつけてくれたのに……」
そこまで言いかけて、陽子は俯いていた顔を上げ、忍を真っ直ぐに見据えた。
「……それともなんだ、しのは私と綾のことも軽蔑してるって言うのか?」
「っ!」
陽子の言葉に忍も顔を上げた。その表情は悲しげに見開かれている。
「本当は、私と綾のこともどうでも良かったって、そう言いたいのかよ……!」
「よ、陽子ちゃん!そこまで言わなくてm」
「そ、そんなことないです……っ!」
陽子を諫めようとした穂乃花を遮り、忍が叫んだ。直後、ハッとした表情になる。
「しの……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
忍の仮面が、剥がれ落ちた。そこに、先程までの冷徹な忍の姿はもう無い。それまで堪えていた涙を流れるままに任せながら、うわごとのように謝罪の言葉を繰り返す。
「……しの、ごめん。酷いこと言った」
「……良いんです。元はと言えば、私がいけないんですから……」
陽子の言葉を受け、忍がか細い声で答えた。
「忍ちゃん……教えてくれるよね?アリスちゃんにあんな態度を取った理由……」
穂乃花の問いに忍が力なく頷いた。
「私は……アリスを不幸にさせたくないんです」
「アリスを……不幸に……?」
忍の言葉に三人は首を傾げた。アリスがどれだけ忍を思っているかを知る三人にとって、忍がアリスの想いに応えることでアリスが不幸になるというのは話として筋が通らない。
「それがまずおかしいんだよ。しのだってアリスだって、一緒にいる時が一番幸せそうじゃないか。それが何で一緒にいたら不幸になるんだよ……」
「……」
陽子の問いに、忍は空を見上げて目を閉じ、静かに口を開いた。
「……みんなで、イギリス旅行に行った時のことを、覚えてますか?」
「え……そりゃ、ついこの前だったし……」
「なら、あの時のアリスマム、覚えてますか……?」
「え……?」
「あの時、アリスと話すアリスマムが凄く楽しそうで幸せそうで……そうしたら、ふと思ってしまったんです」
忍が視線を三人に向ける。
「もしかしたら、この光景は、私がアリスとアリスマムから奪ってしまった時間なんじゃないかって……」
「え……?」
「忍ちゃん……?」
「……まさか、そんな……」
忍のその言葉に、陽子は首を傾げ、穂乃花は呆然とし、香奈は……戦慄した。
「違う……違うよ忍ちゃん!それは忍ちゃんの責任じゃない!」
焦った様子で香奈が訴える。だが、忍は首を横に振るばかりだった。
「だってそうじゃないですか。高校生活の三年間……普通なら家族といるはずの時間を、私が奪ってしまったんです。……アリスの優しさと幸せに甘えて、私はアリスやアリスマムを不幸にしていたんです……」
忍は目を閉じたまま誰も見ようとはしない。
「そ、それが理由……!?」
「忍ちゃん、それはいくら何でも……」
陽子と穂乃花も、忍の言葉の意図に気付いたのか戸惑いを見せる。
「忍ちゃん、それを自分の責任だと思うのは傲慢だよ。日本に来たのはアリスちゃんの意思だし、日本に送り出したのはアリスマムの意思だったはずだよ」
穂乃花が諭すように告げる。だが、忍は首を横に振り、
「でも、私は見てしまった……アリスとアリスマムが再会した時の二人の幸せそうな顔を…。そしてその幸せを奪ってしまったのが私だってことに気付いてしまったんです……」
そう絞り出すように告げる忍。その声音に嘘は無い。無いのだが。
「……違うよね、忍ちゃん」
「え……」
香奈の言葉に忍の目が見開かれる。
「本当にそれだけが理由なら、ただ気持ちを伝えて謝れば良い。あんな風にアリスちゃんを突き放す必要は無いはずだよ。卒業して二人でイギリスに行くのなら、尚更ね」
「そ、それは……」
「そっか……突き放す理由にはなってないんだね……」
「今言ったのは嘘じゃ無いと思う。でも……アリスちゃんのことをあんなに大切に思ってる忍ちゃんがここまでする理由は……きっとそれだけじゃ無いんじゃないかな」
「しの……」
陽子が忍に歩み寄る。
「しの、全部話してくれよ。私だって綾だって……いや、カレンも穂乃花も香奈も、みんな忍とアリスにこんな悲しい思いして欲しくないんだよ」
「陽子ちゃん……」
陽子の悲しそうな、しかし真剣な表情が忍に突き刺さる。
「……わ、私は……」
少しの間をおいて、忍がゆっくりと口を開く。
「私は……アリスもアリスマムも不幸にしてしまって……それに、アリスを『幸せに出来ない』から……」
「幸せに……」
「出来ない……?」
忍の告白に、三人は首を傾げる。
「だって……私は大宮忍で、あの子は……アリス・カータレットなんですから」
「いや、言ってる意味が……」
忍の言葉の意味が分からず、三人は頭上に?を浮かべる。
「え、えっと……?忍ちゃんとアリスちゃんだから、尚更幸せに出来るんじゃ……?」
穂乃花の問いに忍は首を横に振る。すると忍は何かに気付いたように目を見開き、それから再び目を伏せると、小さく告げた。
「……あなたなら、きっと、分かってくれますよね?久世橋先生」
忍の言葉に、三人が振り返る。
「……そうですか、そういう事だったんですね」
「く……クッシーちゃん!?」
「どうしてここに……?」
「小路さん達から話を聞いたんです。カータレットさんの所には烏丸先生『達』が行きましたから、心配いりませんよ」
「達……そっか、来てくれたんだな……」
「陽子ちゃん、それって……?」
「そっちは後になれば分かるさ。それよりクッシーちゃん、さっきのしのの言ってたことの意味、分かるのか?」
「えぇ。恐らく……ですが」
陽子の問いに静かに首を縦に振る久世橋先生。そうして真っ直ぐに忍を見据える。
「大宮さん、あなたはきっと……」
「……」
「あなたもカータレットさんも、どちらも女性だから、幸せになれないと言いたいんですね?」
久世橋先生のその言葉に、忍は小さく頷いた。
―――――欠片が、組み合わさる。
―――――訳が分からなくて。理解できなくて。どうしようもなかった。
―――――忍ちゃんのこれまでの謎が、全部。全部。全部。
―――――繋がっていく、感覚。
―――――そうやって見えてきた真実が、受け入れられない。
―――――あぁ、やっぱりそうなんだ。忍ちゃんは凄いよ。
―――――好きな人の為に、好きな人に嫌われるなんて。
―――――出来ないよ。出来るわけ無いじゃない。
―――――私だったら、ぷりずむの為にぷりずむを捨てるなんて出来ない。
―――――忍ちゃんは、強いよ。強すぎるよ。
―――――でもね、忍ちゃん。その強さはダメだよ。
―――――アリスちゃんを泣かせて、みんな悲しませて。
―――――何より、忍ちゃんがこんなにも苦しんでる。
―――――それだけは、ダメなんだよ。忍ちゃん。
「どっちも……女性だから……」
その意味が分からない人間は、ここにはいない。
「で……でも!やっぱりおかしいよ!だって、忍ちゃんは陽子ちゃんと綾ちゃんを……」
「あぁ、そうだよ。しのはアリス達と一緒に私と綾の仲を取り持ってくれた。私達が付き合うことになった時も、あんなに喜んでくれたんだ。アレは、嘘じゃなかった……」
『ヨーコ、アヤ、おめでとう!本当に……おめでとう!』
『やっぱりヨーコとアヤヤは一緒が最高にお似合いデス!』
『綾ちゃん、凄く幸せそう……本当におめでとう!』
『なんだか見てるこっちまで照れてきちゃうね……でも、うん。良かった。二人とも幸せそうで……!』
『綾ちゃん……陽子ちゃん!本当に……本当に……おめでとうございます!』
「あの時のしのは、まるで自分のことみたいに喜んでくれたんだ……女の子同士だって、ありのままの私と綾を受け入れてくれたんだ……そのしのが、なんでそれを理由にする必要があるんだよ……おかしいだろ!?」
ますます分からなくなる忍の真意に、陽子は思わず叫ぶ。
「……」
「なぁ、しの……言ってることが無茶苦茶じゃないか……それじゃあお前は、私達が幸せになれないと思った上で、私達の背中を押したのかよ……?」
「……っ!」
陽子の言葉に、忍は唇を噛み締め、小さく首を横に振った。
「……違うんです。私だから……幸せになれないんです……」
「忍ちゃんだから……?」
忍が陽子を見る。その瞳は涙で溢れていた。
「陽子ちゃんと綾ちゃんの絆の強さは、愛情の強さは知ってます。ずっと側で見てきましたから……だから、きっとどんな苦難だって耐えられると思います。でも、わたしは弱いから……辛いことや苦しいことからアリスを守れない……そんな私に、アリスと結ばれる資格なんてないんです……」
「守れない……それって」
「この先アリスと結ばれたとして、その先の未来で日本を選べばアリスマム達が、イギリスを選べばお母さんやお姉ちゃんが悲しみます。そして、みんなを大切に思うアリスだったら、どちらを選んでも悲しむ誰かを思ってきっと傷付いてしまう……私には、その悲しみからアリスを守る力が無いんです……」
悲痛な面持ちでそう話す忍。陽子が口を開きかけるが、それを遮るように忍が返す刀で責め立てる。
「それに、私じゃアリスを『お母さん』にしてあげられません。アリスマムが感じた幸せを、私はアリスにあげられない……その事できっとアリスは苦しむでしょう。でも私にはその苦しみからアリスを守ることも癒やすことも出来ないんです」
「しの、それは私だって同じだ。私だって綾に……」
言いかけた陽子を忍は悲しそうに見つめる。
「同じじゃないです。私は陽子ちゃんみたいに強くないから……」
「強くないってお前……」
その言葉こそ陽子には信じられない。陽子は―――――いや、陽子だけに限らない。穂乃花も香奈も久世橋先生も忍の強さを知っている。だからこそ、忍の一連の言い分に筋を感じながらも違和感を覚えずにはいられなかった。
「……忍ちゃん」
口を開いたのは穂乃花だった。
「私ね、忍ちゃんと金髪同盟を結成して思ったことがあるの。私と忍ちゃんはただ金髪が好きなだけで出会ったんじゃないって。同じ想いがあったから巡り会えたんだって、そう思うの。……そうだよね?」
穂乃花の言葉の意味するところ。それを察した忍は小さく頷く。
「忍ちゃんの気持ちも勿論分かるよ。でも……忍ちゃんがその悩みを乗り越えてアリスちゃんを好きなことも知ってたつもりだよ。それなのに……アリスちゃんから離れられるの?」
「……っ」
「私だったら……きっと出来ない。例え私の存在が好きな人を傷付けることになったとしても、『好きな気持ち』を欺いたり出来ない。……それでも、忍ちゃんはそれをするの?ううん……出来るの?」
穂乃花の言葉に忍はしばらく俯いた後、静かに顔を上げた。その瞳に強い決意を宿して。
「出来ますし……やります。それでアリスの悲しみや苦しみが一つでも消えるのなら、私はその選択をします」
「しの……」
「忍ちゃん……」
忍ははっきりと、言い切った。
「……私は、アリスの幸せを願っています。そして、その幸せを阻むもの全てを排除します。……それが私自身なら、尚更です」
―――――忍ちゃんの強い決意が、怖くすら感じた。
―――――忍ちゃんがアリスちゃんを好きなこと。
―――――分かってたはずなのに、その意思の堅さが突きつけられる。
―――――違うはずなのに。絶対に間違っているのに。
―――――忍ちゃんの覚悟が、それ以外の選択肢を選ばせようとしない。
―――――忍ちゃん、お願いだよ。
―――――アリスちゃんが忍ちゃんを想う気持ちを、
―――――忍ちゃんがアリスちゃんを想う気持ちで消してしまわないで。
―――――忍ちゃんとアリスちゃんは、きっとちゃんと通じ合えるんだから。
―――――私と、違って。
「っ……誰がそんな覚悟を望んだよ!アリスがそんなことされて嬉しいわけ無いだろ!」
陽子が吼える。その表情は悲痛に歪んでいる。
「それでも、です。その先に待つ未来がアリスにとってより良いものになるのなら、それだけで私には十分すぎます」
それでも、忍は折れない。今にも泣きそうな顔で、誰よりも辛そうな表情で、頑なに自分の意志を貫いている。
「……ねぇ、忍ちゃん」
口を開いたのは穂乃花だった。
「忍ちゃんがアリスちゃんをそんなに想ってたなんて、思わなかった……忍ちゃん、やっぱり凄いよ」
「穂乃花ちゃん……」
「……でも、やっぱり私はもったいないと思うよ」
「もったい……ない……?」
穂乃花の言葉に、忍は呆気に取られた。予想外の言葉だったからだ。
「だって……忍ちゃんもアリスちゃんも、お互いに想い合っているのに、自分から離れようとしてるんだもの。……一方通行の私からしたら、羨ましすぎるくらいだよ」
そう言って寂しそうに笑う穂乃花。その姿に忍と陽子、香奈は呆然とし、久世橋先生はハッとした表情を見せた。
「……私の好きな人はね、いつも元気で明るくて、私を引っ張っていってくれる、とっても強い人。だけど優しくて、どんなに隠れていても私を見つけ出してくれる、優しい人なんだ」
「……」
穂乃花の言う『好きな人』が誰なのか、その場にいる誰もが理解している。それでも、黙って穂乃花の話に耳を傾ける。
「……でもね、その人には他に好きな人がいるの」
「え……」
その呟きは誰の声だったのだろうか。
「その人は、私の好きな人に正面から向き合える人。私の好きな人の強いところにも弱いところにも真っ直ぐ向き合える人。……好きな人を後ろから追いかけるだけの私じゃ、どう頑張っても勝てない、素敵な人……」
そういうと穂乃花は悲しげに微笑む。
「だから……心が通じ合えてる忍ちゃんとアリスちゃんは、凄く幸せなんだよ?」
「穂乃花ちゃん……」
(そうか……こうなることを分かっていたんですね、烏丸先生……)
「そうですね、松原さんの言う通りだと思います」
小さく笑みを浮かべながら、久世橋先生が口を開いた。穂乃花が驚いた表情で久世橋先生を見る。
「カータレットさんを守りたい。そう願う大宮さんの思いは美しくすらあるでしょう。でも、松原さんが言うように、互いが互いに想い合えることは決して当たり前の事じゃありません。……私だって、相手に思い人のいる、一方通行の恋なんですから」
「―――――え?」
その声の主は、忍でも陽子でも、香奈でもなかった。驚きと困惑の色を伴ったその声を意に介さず、久世橋先生は口を開く。
「……私の好きな人は、いつも元気で明るくて、私を引っ張っていってくれる、とても強い人です。でも思いやりがあって、どんなに隠していても私の悩みや迷いに気付いてくれる、優しい人でもあるんです」
そう話す久世橋先生は優しい顔をしている。そうして、その表情のまま、少しだけ悲しい色をして、
「……ですが、その人には他に好きな人がいました」
「……!」
誰かの息を飲む声が静かに響いた。
「その人は、私の好きな人の側で寄り添える人。私の好きな人の夢も迷いも支えながら、隣を歩ける人。……好きな人を見守るだけの私では、どう頑張っても勝てない、素敵な人……」
「久世橋先生……」
穂乃花の呟きに久世橋先生が振り返り優しく微笑みを浮かべる。そうして再び忍に向き合うと、
「……大宮さん。想いが通じ合っていても、思いが必ず理解されるわけじゃないんです。大宮さんの願いがカータレットさんの望みとは限らないんです。それでも手を離してしまえば……もう取り戻せないんです。そうなってしまえば、後悔することも、もう出来ません……」
久世橋先生の、そしてこれまでの陽子達の言葉が忍を揺さぶる。
しかし、忍は必死に首を横に振る。自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「それでも……間違いだったとしても……私には出来ないんです!アリスが悲しむことも苦しむことも、私には出来ません!それくらいなら……私はどんな目に遭ってもいい。例え地獄に堕ちたって……アリスさえ笑っていてくれるなら……私はそれだけで良いんです……っ!」
「しの……!」
それは願いだったのだろうか。呪いだったのだろうか。ただ、アリスの為にありたいと願い続けた忍の、それは懺悔にも似た告白だった。
「大宮さん、そこまでカータレットさんのことを……」
「なんでだよ……間違いだって分かってんなら……止まれよ!アリスもしのも……みんな辛いだけじゃないか!」
「それだけ……忍ちゃんがアリスちゃんのことを好きだって……事、なんだろうね」
「説得は出来なかった……けど、本音は引き出せたのかな?」
涙を流しながら、それでも唇を噛み締め俯く忍を見て、陽子は小さく呟いた。
「……ごめん」
そうして再び口を開く。今度は少し、大きな声で。
「……ごめん。アリス。しのの事……頼む」
「……うん、分かった。ヨーコ、本当に、ありがとう……」
「……っ!」
聞こえるはずのない声に、忍の顔が上がった。その瞳の先、陽子達の向こう。校舎の入り口。
「シノ……」
「ア、アリス……」
アリスは、そこに、いた。
―――――ねぇ、しの。
―――――なぁ、しの。
―――――シノ。
―――――忍ちゃん。
―――――忍。
―――――大宮さん。
―――――忍ちゃん。
―――――大宮さん。
―――――シノ。
「あ、あり、す……」
「シノ……戻ってきたよ……」
怯えたように震える忍とは対照的に、アリスはしっかりと、迷いの無い足取りで忍へと歩み寄る。彼女の後ろには、綾とカレン、烏丸先生と勇が続いている。
「陽子……」
「綾、カレン。ごめん……しのの本音は引きずり出したけど、説得しきれなかった……」
「……それだけで十分デス。後は、アリスの役目デス」
「烏丸先生……ありがとうございます」
「いえいえ、お礼を言うのは私の方です。大宮さん達を支えてくれて、ありがとうございます」
「穂乃花ちゃんと香奈ちゃんだっけ、……二人とも、忍の為に本当にありがとう」
「そ、そんな……結局、どれだけ忍ちゃんの助けになれたか……」
「結局、最後はアリスちゃん任せになっちゃいましたし……」
「良いのよ。二人の問題だもの。私達に出来るのはここまで。後は二人次第だわ」
八人が思い思いに言葉を交わす中、アリスと忍は二人きりで向き合っている。
「シノ……」
「あ、う、ぁ……」
アリスが忍の前から走り去る直前と、状況は完全に逆転していた。綾達によって背中を押されたアリスと、陽子達によって仮面を剥がされた忍が向かい合う。
「シノ、シノの気持ち、聞こえたよ」
「えっ……」
「シノ、大声で話すんだもん、でも……おかげでシノの気持ちや、思いやりが聞こえてきたよ」
「あ、あぁ……」
アリスの言葉に忍はうろたえるばかりである。自分の中に留めておくつもりだった思いが、アリスにだけは知られまいとした思いを知られてしまった悔いが忍を支配する。
「あ、あの……アリス、わ、わた、し、は……」
「シノ……ごめんね」
「っ……!」
アリスが忍をそっと抱きしめた。アリスの体温が忍を優しく包み込む。忍はその抱きしめる力に応える勇気が無い。
「私ね、たくさんの人に背中を押して貰ってここまでこれたんだよ。アヤが、カレンが、カラスマ先生が、イサミが……みんなが、私とシノを応援して、見守ってくれたんだよ」
「みんな、が……」
『……ねぇ、アリス。忍にとって最も恐ろしい事って、なんだと思う?』
『シノにとって、最も恐ろしいこと……?』
『それはね……アリス、あなたが悲しんだり苦しんだりする事よ。アリスの事を大切に想う忍は、それを何よりも恐れている。だから忍は、アリスが笑顔でいられる為に何でもする覚悟があるのよ』
『私が……笑顔でいられる為に……?』
「イサミにそう言われた時は、最初はどういう事か分からなかった……でも、シノの思いを聞いて、シノの決意を聞いて、シノの思いがやっと分かったの……」
「アリス……」
「でもね?」
そう言うとアリスは抱きしめる力を少し緩め、忍の顔を見つめた。アリスの視線と忍の視線が絡み合う。
「シノは間違ってるよ」
「間違って、る……?」
「シノが私のことを想ってくれるのは凄く嬉しいよ。私の幸せを願って、私が辛い思いをしたり苦しい思いをして欲しくないって気持ちも、とっても嬉しい。でもね……」
アリスの瞳から涙がこぼれる。
「私にとって一番辛いのも一番苦しいのも、シノがいないことなんだよ。どんなに未来が幸せに溢れてたって、苦しみや悲しみが無くたって、シノのいない未来なんて嬉しくもなんともないんだよ」
「アリス……」
アリスが再び忍を抱きしめる。忍は、今度こそアリスを小さく抱きしめ返す。
「世界中のどんな幸せも、シノのいない悲しみは癒やせない……でもね、シノが一緒にいてくれるなら、この世界のどんな悲しみも苦しみも乗り越えられる……私は、シノと一緒に全部乗り越えて生きていきたい……シノと、一緒に」
「アリス……っ!」
忍の瞳から涙が溢れ出す。
「私もっ、アリスと一緒にいたい……です……っ!きっとっ、アリスが悲しい思いをしても……苦しい思いをしても……守ってあげられないけど……っ!一緒に……乗り越えて、生きていたいです……っ!」
「シノぉ……っ!」
「アリス……っ!」
二人は抱きしめ合い、泣きながら想いを伝え合う。一度は離れかけた二人は、周囲の人々に助けられ、今度こそ確かに繋がる。
「良かった、本当に良かったわ……」
「だな……ごめん、綾。偉そうな事言っておいて結局一人じゃ何も出来なかった……」
「……陽子のバカ。最初からみんな二人の為に頑張るつもりだったわよ。でも、そのきっかけを作ってくれたのは間違いなく陽子だったわ。本当にありがとう」
「綾……ううん、私の方こそありがとう」
「……久世橋先生、ありがとうございます」
「……私は何もしていませんよ。勇気を出したのは松原さんです」
「……」
「……」
「……私、ずっと久世橋先生が羨ましかったんです」
「それを言うなら、私はずっと松原さんが羨ましかったんですよ」
「私達、互いに無い物ねだりだったんですね」
「そうですね。それに、願いも同じでした……」
「……ふふっ」
「ふふ……」
「久世橋先生、今度一緒に遊びに行きませんか?久世橋先生しかしらないカレンちゃんの話、聞きたいです」
「良いですね。私も、松原さんしか知らない九条さんの話、聞いてみたいです」
「約束ですよ?」
「……えぇ」
「……なんか、ホノカとクゼハシ先生が仲よさそうデス」
「ん?……まぁ、そういう事もあるでしょ」
「シノとアリスが仲直りしたと想ったらホノカとクゼハシ先生が仲良くなってるデス……なんで?」
「知らぬは本人ばかりなり……か。ふふっ」
「???」
「……さすがお姉さん。大宮さんのことも、アリスさんの事も、凄くよく見てらっしゃるんですね」
「えっ……そ、そういうわけじゃ……ううん、そうですね」
「ふふっ、……本当に、ありがとうございました」
「いえ。……大事な妹達のピンチですから。間に合って、本当に良かったです」
―――――ねぇ、シノ
―――――なんですか?アリス
―――――これからも、ずっと一緒にいてくれる?
―――――はい、約束します。
―――――私は弱いから、この先もアリスを悲しませたり、苦しませたりするかもしれませんけど。
―――――どんなときだって、一緒にいます。
―――――ずっと、ずっと、アリスと、一緒です。
―――――うん。
―――――私も、ずっとシノと一緒だよ。
―――――だからね、シノ。
―――――だから、アリス。
―――――これからも、よろしくね。
―――――これからも、よろしくお願いします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
作品としては全体的に雰囲気重くなってしまいましたが、自分の表現したいものは全て詰め込めたと思っています。
ちなみにこちらはほぼ同内容のものをpixivにも掲載しております。こちらでは文字数の都合で細かく区切った形になっていますが、内容はほぼ同じになっております。
(こちらは区切りの都合で一文だけ削ってあります)
改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。
投稿おつかれさまです
衝撃的な独白から、忍のアリスのことを思ってたとはいえとんでもなく鬼畜な断り方、惹き込まれますね。
相手を思い遣るが故に傷つき苦しんでしまう、そんな煩悶の中で見出す絆の形は何にも代えがたいものですね。
とても読みごたえがあって面白かったです!
拝読いたしました! なんかカレンちゃん周りが若干穏やかじゃないけど、当人たちが楽しそうだからヨシ!
お互いを本当に大切に想うからこそ、気遣いに気遣いを重ねてすれ違ってしまう。現実でもしばしば起こる現象ではありますが、普段仲良しのきんモザ組だと一層くるものがあります。
そして、それが寛解したことで、気遣いが愛として実を結んだ。その果実の甘さたるや、最早語るまでもないでしょう。
個人的に、忍とアリスを様々な面でサポートしてくれた他の登場人物たち (綾、陽子、カレン、穂乃花、香奈、烏丸先生、久世橋先生、勇) の優しさが、本当にあたたかく感じました。間違いなく、それがなければ忍とアリスの仲は進展どころか二度と元には戻らなかったはずです。
かくもあたたかな人たちに囲まれ、困難を乗り越え、新しいふたりだけの幸せを手にした忍とアリスを、祝福せずにはいられませんね...!
>>39
カレル様、感想ありがとうございます!
忍の一連の行動はキャラ崩壊レベルものだとは思いましたが、だからこそ忍の決意の強さるの表現になると思い挑戦しました。
忍とアリス、そしてみんなの絆を強く感じていただけたのなら書き手冥利に尽きるというものです。
読んでいただき、本当にありがとうございました!
>>40
ペンギノン様、感想ありがとうございます!
穂乃花と久世橋先生については、恋のライバルなのにあれくらいほんわか仲良しなくらいの方が良いんじゃ無いかなぁという思いの表れでした。カレン、頑張れ…
互いの絆が強いきんモザでここまで関係が軋むのは書いていても辛いものがありましたが、仰る通り、乗り越えた先に待っていた幸せは言葉にならないものがあったと思います。
アリスと忍の恋のお話ですが、陽子達の活躍は外せませんでした。たくさんの人達に望まれ、祝福される幸せがあってこそ、この物語は成り立つんだというのが個人的な思いです。だから、こんな風にペンギノン様にも祝福していただけて、本当に良かったです。
読んでいただき、本当にありがとうございました!
今更ながら読みました
一目できんモザと分かる、プルサティラで調べるとストーリーとリンクしていることが分かる、タイトルがまず印象的でした(自分が調べた内容書くのは無粋と思うのでぜひ調べてくださいとしか言えませんが)
既に言われているように、ふたりだけの話ではなく、周囲の助けがあって乗り越える流れがとても良かったです
>>42
感想ありがとうございます!
タイトルの意味に触れて下さるとは…本当にありがとうございます!話の構想にうってつけの名前だったので迷い無く採用となりました。気付いていただけてとても嬉しいです!
周囲の人達の助けを借りる展開は、私のどうしてもやりたいことの一つでした。皆様に受け入れていただけて本当に良かったです。
重ねて、感想本当にありがとうございました!
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